3/5/2023
『血筋、学歴、地位、努力では得られないもの』
大倉信師
What Cannot Be Obtained Through Bloodline,
Education, Status, or Hard Work
by Pastor Makoto Okura
宗教改革をなしたマルチン・ルターは、かつてその生涯を神に捧げた修道士として、一日に七度、朝一時と二時の間に起きて祈るというような生活をしていました。その間に労働、断食、徹夜をし、定められた規則に沿ってその生活がなされました。その時の生活について彼はそれを振り返ってこのように後に語っています。
「私が敬虔な修道僧であり、修道院の規約を厳格に守ったことは事実である。修道院の生活によって天国にはいれる修道僧があったら、わたしも天国に行けると思う。私を知っている修道僧の兄弟達は、誰でもこのことを証言してくれるだろう。しかし、私の修道院生活がもっと長く続いたなら、不眠と祈り、読書と労働、その他あらゆる責務のために死んだであろう」
(「ルター自伝」藤田訳、新教出版)。
ルターは修道士として、その勤めに励めば励むほどに自らの内にある心の問題を見出して苦悩しました。そのような苦悩の中、人間には数えあげることができる罪だけではなくて、もっと根源的な罪、どんな罪のリストをもっても表現できない罪があるのではないかと彼は考え始めました。この根源的な罪はもはや人間である以上、どんなことをしても、すなわちどんなに学を積んでも、厳しい修行をしても逃れることができないもののように思えました。
しかし、そんな彼が後にローマ書についての研究をしていた時に、はっきりと一つの聖書の言葉によって、光を見出しました。すなわちローマ3章28節の言葉である『人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである』というパウロの言葉です。 彼はその時から自分が新しく生まれ変わりました。彼は言っています。
「この言葉は私にとって天国への門となった」
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