『処女降誕:イエスを仰ぎ見て光を得よ! 』
大倉信師
Virgin Birth: Look Up to Jesus and Receive Light!
by Pastor Makoto Okura
皆さんに一つの問いかけをしたいと思います。それはこういう問いかけです。あなたは「人が神になること」と「神が人となること」、どちらが信じられますか?
世界には数多くの宗教がありますが、その多くは「人が神となる」ということをうたっています。あるカリスマ性をもったリーダーが自らを神と言い出す、あるいは回りの者達がそう担ぎ出す。そのような宗教が世にはたくさんあります。しかし、多くの場合、その自称神である人間はスキャンダルによって失脚します。金銭問題、倫理的な問題です。なぜ、自称、神がスキャンダルを犯すのか。なぜなら、彼らは神ではなく、私達と同じ人間だからです。
中国の兵法にはこんな戦略があるそうです。それは「敵の将を傲慢にさせる戦略」であり、これには大きな効果があるそうです。彼らが傲慢になる時、彼らは自らを見失い、それが戦果に悪影響を与え、やがて倒れるという戦法です。「あなたこそ神です」と祭り上げられれば、その人は自分の心のエゴを抑えることができなくなります。そして、その人は最後に必ず死に、全ての人間と同じように土に還るのです。
私は「人が神となる」とは思いません。私は死後の世界を信じますが、私は死んで神とはなりません。私は滅多に「絶対」という言葉を使いませんが、このことには確信を持って言えます。人は神にはなり得ません。死んで神となることもありません。絶対にありません。私は日々、色々な思い違いや過ちを犯す者です。子供達の皿に盛られたアイスクリームの方が、私のものより少し多いだけで、心が騒く。そのような人間を神と呼んではいけません。見ることも難しい小さな棘が小指に刺さっただけで大騒ぎし、今まで読んでいた字が見えなくなっていくような人間が神になることは絶対にあり得ません。
では、どうでしょうか。「神が人となる」ということは?
Comments