top of page

『露が消える時』大倉 信 師

2020年7月26日(日)


黄色いパッケージの「森永のキャラメル」を知らない日本人はいないと思います。その森永製菓の創業者は森永太一郎(たいちろう)という方で、彼は慶応元年、生家であった佐賀県伊万里市で陶器問屋の息子として生まれました。

24歳の時に商品を海外で販売することを目論見、妻子を日本に残して単身、渡米し、そこで出会ったクリスチャンのアメリカ人老夫婦からキリスト教に触れ、内村鑑三、新渡戸稲造を導いたメリマン・ハリス宣教師から洗礼を受けます。その後、一時、帰国しますが、再び渡米し、西洋菓子の製法を身につけ、帰国後、森永製菓を設立し、この会社は日本を代表する製菓会社となります。

森永製菓の商品の中に昭和5年に販売が始められた「マンナ・ビスケット」という幼児の離乳食があります。懐かしく思われる方がいるかもしません。このマンナの成り立ちと名前の由来が森永製菓のウエブサイトに掲載されています。

当時の日本は不況下にあり、世の中にはまだ乳離れした幼児が食べられるお菓子が何もない時代。そこで森永は子供が安心して食べられる栄養価の高いビスケットを開発しました。それがマンナであり、その名は太一郎が聖書に記されている神様がイスラエルの民に与えたマナという食物にちなんでつけられました・・・。





メッセージ音声

*Podcastの詳しい使い方はこちら

礼拝ビデオ




コメント


bottom of page