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『万事が益となる』大倉 信 師


2018年12月30日

『神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている』(ローマ8章28節ー30節)

この言葉は多くの方達の拠り所として、愛されてきた聖書の言葉です。しかし、同時にこの言葉は誤解されている言葉でもあります。その誤解はどこからくるかと言いますと、私達が考える「益」と神様が考える「益」の違いにあります。

多くの場合、私達は何の疑いもなく、「自分の願い」と「希望」を「自分の益」と考えています。しかし、それは必ずしも「神様が考える益」とは同じではありません。

このことゆえに「自分が考える益」が成就しないと分かると私達は「ほら、みろ、神などはいない。祈っても仕方がない」と考えます・・・。

冷静に考えてみましょう。自分の願いと希望が叶うということが、絶対に自分の益となるのだという考えは本当に正しいのでしょうか?神とは私達の願いと希望を叶える道具なのでしょうか?もし神が私達の道具であるのなら、もはや私達はその存在を神などと呼ぶことはできないのです。道具は私達の手の中に納まるものだからです・・・。

今日はローマ8章28節の言葉を自分の願いが叶わなかったモーセの生涯と照らし合わせて考えてみましょう。

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