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『神のあわれみによる勧め』大倉 信 師


2018年3月11日

私達日本人はあの第二次世大戦で「神」ということについて、負の遺産を持っています。その時に「天皇は神である」ということから「天皇は人間であった」という価値観が一日の内に全くひっくり返る経験をしていますから、「神」という言葉に対して強い警戒心があります。

以来、神は真剣にとらえるものではなくて、あまり深入りしないほうがいいという心理があります。何人もの人から聞いたことがあります。「最近、教会に行っているの」と親に打ち明けたら、「ためになる教えもあるだろうけれど、あまり深入りはするな」と言われたと。かといって私達は神の存在を人生から全く排除することもできずに(内心、恐れがありますから)、困った時の神頼み、必要な時の神頼み、一応、年に数回、義理を果たして、お参りしたりします。

ほどほどに義理を果たさなければならないという程度の神ならば、その言葉に従うことはありませんでしょう。それよりも自分で好きなように生きていって、苦しい時にだけ「頼みますよ」と言っていたほうが気楽でありましょう。気楽であるということは、私達が思う以上に私達がとても大切にしていることなのです・・・。

●メッセージ音声

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