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『私達が目指すべきところ』大倉 信 師
2018年1月14日 「野球選手になる」とか「この役職を得る」という私達の心からの願いと夢がかなわないと分かった時、私達は「神は万事を益としてくださるお方」だとは思いません。しかし、神が私達を導かれようとしているところは私達が「野球選手」になることでも「役職を得る」ことでも...
『忘れよう、忘れまい』大倉 信 師
2017年12月31日 自分の人生の年月を考えますのなら、私は生まれてからこの方、この命と共に 49年、生かされてきました。それは17785日です。17785日、私の心臓は数秒たりとも止まることなく動き続けてきました。その間に私は何本の箸や歯ブラシを使い古したことでしょうか...
『人生という冒険のただ中にある方々へ』大倉 信 師
2017年12月24日 「アドベンチャー」は「アドベント」が語源となっていると言われていますが、これらのことを思いますときに、実際にヨセフとマリア、そして幼子イエスを取り巻く世界は、のんびりと平安に包まれているような私たちが普段、見慣れているクリスマスカードのような環境では...
『イエス様と私達の間に壁はない』大倉 信 師
2017年12月17日 ユダヤ人は私達には想像ができないほどに系図を大切にする人達です。祖先がどんなに偉大であったかということを誇りとし、日々を生きる希望としている民です。そのような中でイエス・キリストはごまかしてでも隠しておきたい名前が連なる系図の中に自らの出生を置くこと...
日英合同礼拝『平和の君』大倉 信 師
2017年12月10日 80年代、私はテネシー州の片田舎のキャンパスにいました。周りには牛と馬ばかりがいるような所で、私の楽しみは校内にあるスチューデンドセンターで友達をつかまえては卓球とビリヤードをすることで、そこに設置されたテレビからは一日中、MTVが流れていました(い...
『私達が今、生きている世界とは?』大倉 信 師
2017年12月3日 先日、牧師会でテキサスの教会で起きた銃撃事件のことを話し合いました。「なぜ、あんなことが・・・」あのようなことが教会で起きるなんて「神はいるのか」。必ず、出てくる言葉です。人間はこれからどうなっていくのだ。この世の中はどうなっているのだ。こんなことは今...
『あなたはわが子、そのことが嬉しい!』大倉 信 師
2017年11月26日 我が子おもちゃのシャベルを使いながら砂山を作っています。一生懸命、それに没頭しているのですが、時々、何かを思い出したように顔を挙げて、周りを見回します。そう、彼は父親を探しているのです。そして、父親と目が合うと安心してまた砂山作りに没頭します。そう、...
『感謝の根本を変える』大倉 信 師
2017年11月19日 今日、私達は見えるものによって支配されて生きています。昨日、一日を振り返ってみてください。私達は何によって喜び、悲しみ、笑い、また怒りましたか。その多くは私達が見聞きしたものです。このことは私達の家庭でも教会でも職場でも私達が行く先々どこであっても私...
『聖霊の助けを見過ごさない』大倉 信 師
2017年11月12日 もし皆さんが愛する家族とこの世で最後の食事をする時、何をその食卓で語りますか。言うまでもなく、その場は彼らに直接、語ることができる最後のチャンスなのですから、どうでもいいことは話しませんし、どうしても彼らに伝えたいことを語るでしょう。そのような場面が...
『聖霊を意識して生きる』大倉 信 師
2017年11月5日 ● 本日のプログラム ● 礼拝メッセージ『聖霊を意識して生きる』 ● Message "Being Aware Holy Spirit" ● 『聖霊を意識して生きる』おもちかえり ● 一日一生(2017/11/6-2017/11/12) ★...
『増し加わる恵み』大倉 信 師
2017年10月29日 ユダヤの知恵文学の一つにシラ書というものがあり、そこにはこんなことが書かれています。 「はじめに神は人を創造され、その人を性(さが)の力に委ねられた。すなわち、それは我々が欲するならば神の戒めを守ることができるということを意味する。このことを実現...
『キリストと共に死に、キリストと共に生きる』大倉 信 師
2017年10月22日 「祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終りがあり、生きている者が、それを心に留めるようになるからだ」(伝道の書6章2節) イスラエルの三代目の王ソロモンは祝宴の家に行くよりも、喪中の家に行くことを望みました。なぜなら...
『よどんだ心はきよまるのか』大倉 信 師
2017年10月15日 以前、私がまだ小学生の頃、私は近くを流れる川でよく泳いだり、魚をとって遊びました。40年以上も前のことなので、川もある程度は澄んでいました。ある日のこと、いつものようにその川に遊びに行くと、いつもは澄んでいる水が茶色に濁っているのです。何事かと思いき...
『私達が求める平和と希望とは?』大倉 信 師
2017年10月1日 平和と唱えられるもの、希望と呼ばれるようなものが私達の世界にはあります。しかし、その多くは何と時間的に、地理的に、状況的に限定的なものでしょうか。それらに対して、キリストがくださる平安はこの世のものとは異なり、その希望は決して失望に終わることがないので...
『本当の奇跡』大倉 信 師
2017年9月24日 もし私が取っ手が壊れたコーヒーカップをグルーで直したら、皆さんは「なんという奇跡!」と言いますか。いいえ、決して言わないでしょう。でも、もし切り落とされた耳を拾い上げ、それをその人の耳にその場で元のようにつけ直したら、それを私達は奇跡と呼びますでしょう...
『救いは勝ち取るものではありません』大倉 信 師
2017年9月10日 クリスチャン作家のフィリップ・ヤンシーはこんな言葉を残しています「天国に行くには何をしなければならないかと聞けば、たいていの人は「良いことをしなさい」と答える。イエスの話はその答えと矛盾する。私達がしなければならないことは「赦して、助けて」と叫ぶ事なの...
『責任を転嫁せず、開き直らず』大倉 信 師
2017年9月3日 「今日、モールに行ったけれど、パーキングスペースがなかったのよ。一生懸命お祈りしたけれど、神様は聞いてくれなかったわ。神様なんていないのよ」。 このようなことは極端なことでしょうか。いいえ、けっこう私達はこのようなことで問題を神のせいにしているということ...
『新しい契約を心に刻む』大倉 信 師
2017年8月27日 「法律」とは人間がこの複雑な社会にあって自らを律するために自分達で作ったものでありまして、この米国も日本もこの法律が国を治める法治国家であります。この法のもとに大統領も一般市民も置かれています。しかし、しばしばこの法は破られます。...
『裁くことから解放されたい』大倉 信 師
2017年8月20日 ヨハネによる福音書4章にはイエスがサマリアのスカルの井戸で一人の女に出会ったことが記録されています。二人の間に会話がなされ、この女について一つのことが明らかになりました。それは「彼女にはかつて5人の夫がいたが、今、共にいるのは正式な自分の夫ではない」と...
『心の闇を自覚する』大倉 信 師
2017年8月13日 「あの人のレンズはそうとうに汚れているわ。早く気がついて、きれいにしてくれないかしら。自分でしないのなら、私がしてあげるわ・・・」 でも、その前に自分のレンズがきれいなのかを確認することは賢明なことであり、まずはそうすべきでありましょう・・・。まず私達...
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