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2018 Thanksgiving レター
レターのダウンロードはこちらから #jp #大倉師 #ホリデーレター
『目から鱗を取り除きましょう』大倉 信 師
2018年11月11日 現在、この国では互いの違いというものに人々の思いが向かっています。そして、その違いが憎悪となったり、排斥となったりしています。確かに私達は皆、異なります。しかし「我々は神の前に互いに罪人である」ということにおいては同じ所に立つことができるのです。...
『神の御業を見た人達』大倉 信 師
2018年11月4日 私は明らかに「このことをこの方は心から願っているんだろうな」と思われることに対して「これは神様のみ心だと思いますから従います」というような報告を聞くことが度々、あります。しかし「このことは私の願っていることではないのですが、神様のみ心はそちらにあるよう...
『最後に残るもの』大倉 信 師
2018年10月28日 私は27年前、インドのカルカッタにあるサルベーションアーミーにしばらく宿泊していたことがあります。大部屋に30ぐらいのバンクベッドがあって、私のベッドの横はブリキのトタンを挟んだストリートで、外の喧騒がいつも伝わってきました。まさしく安宿とはこのよう...
『プロセスを大切にされる神』大倉 信 師
2018年10月21日 若い夫婦の口から出る言葉を一日録音してみれば、おそらく明らかになることがあります。彼らは一日に何度、子供に向かい「早くしなさい」と言っているかということです。朝食の時、「早く食べなさい」、玄関口で、「早く靴をはきなさい」。学校まで車で送っていけば、「...
『誘惑から守られるために』大倉 信 師
2018年10月14日 その生涯、多くの働きをなして社会に貢献し、家庭を支え、歩んできた方が、その人生最後のステージ、すなわち、そのゴールまであともう少しというところで、誘惑にあい、それに陥り、それまで自分が築きあげたものを全て失ってしまうというようなことを時々、私達は見聞...
『喜んで弱さを誇ろう』大倉 信 師
2018年10月7日 スポーツジムに行きますと多くの方達が鏡の前で重いものを持ち上げています。人は自ら苦労して重いものを運ばなくていいようにトラックやエレベーターを発明しましたが、おもしろいことに、ジムにいる人達はこめかみの血管が切れるような真っ赤な顔をしながら、何度も何度...
『現実的な状況で語られている言葉』大倉 信 師
2018年9月30日 時々、聞きます。「あの人には何の問題もなく、幸せそうでいいねー」。皆さんの周りにも、そのように思われる人達がもしかしたら、いるかもしれません。 「牧師」という仕事の一つは一見、そんな「何の苦労もなく幸せそうねー」と思われる方達の悩みを聴くことです。そし...
『婚宴に備える教会』大倉 信 師
2018年9月23日 ‟もし教会には偽善者が満ちているという理由であなたが教会に行かないのなら、教会は聖徒達が居並ぶ博物館なのではなく、罪人のための病院であるということを思い起こしてください”。 サドルバック教会の主任牧師であるリック・ウォーレン牧師はこんな一文をその著書に...
『世に勝つ者はだれか?』大倉 信 師
2018年9月16日 子供達、若者達、これからの皆さんの人生は時に心が揺さぶられるでしょう。なぜなら、皆さんはこれから色々なものを見聞きすることになるからです。 皆さんよりかっこいい人、かわいい子、皆さんより足の速い子、皆さんより成績のいい子、皆さんよりクールなスニーカーを...
『重荷はこうして負います』大倉 信 師
2018年9月9日 重荷を負うということは簡単なことではありません。しかし、私達は荷を背負い続けることが求められ、その荷の重さに押しつぶされないことが期待されます。その荷を降ろしたり、誰かに委ねたりすることは、その荷の重さに屈してしまうことで、「この人は責任や義務が果たせな...
『神に喜んで頂く生き方』大倉 信 師
2018年9月2日 沖永良部という離島の教会におりました時、その島ではじゃがいもを生産・出荷していました。その季節になりますと「これが今年の初ものです」と言って島の人が届けてくれました。私達が何かをいただく時、それが「初もの」であると聞くと、喜びと感謝がさらに大きくなります...
『神を遠くに感じる時』大倉 信 師
2018年8月26日 私たちが現実の世界を見ます時に「なぜ、自分や家族、あるいは親しい友にこんなに辛く悲しいことが起きるのだろうか」という事に向き合うことがあります。 ヨブ記の主人公、ヨブもそのような境遇に置かれました。聖書によると、彼の人となりは全く、かつ正しく、神を恐れ...
『神との友情を育む』大倉 信 師
2018年8月19日 イエス・キリストはかつて言われました。 「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である」(マタイ9章12節)。 キリストは「私は病人のために来た」と言われました。でも、私達は思いませんか、この言葉をそのまま受けとると、そうなのか、この世界には「病人」...
『私の友だから知らせよう』大倉 信 師
2018年8月12日 50年ほどの自分の人生を振り返り、また牧師として多くの方達の人生と接する機会が与えられている中で、気がつかされていることがあります。それは私達がその人生の中でなす「決断」の大切さということです。 誰もが毎日、何かしらの決断をします。「決断」と言いますと...
8月5日『成長し続けるために』大倉 信 師
2018年8月5日 種から芽が出て、やがて実が実るということを考えてみましょう。私の家では生ごみをコンテイナーに入れて、それを肥やしにして用いています。今年の春、そんな肥料を土に混ぜて苗や種を植えたのですが、それらの苗や種よりも力強く、生ごみとして捨てていたカボチャの種が芽...
『こうして神は私達を用いる』大倉 信 師
2018年7月29日 母の恩師で米田豊という先生がいました。この先生は東京聖書学院の教授として重責を担われ、東京新宿にある西落合教会という教会の牧師として生涯を歩みました。米田先生の生涯は苦難に満ちていました。先生には8人も子供がいましたが、その内の6人を亡くすという生涯で...
『タラントは埋めておかない』大倉 信 師
2018年7月15日 目に見える成果が何も感じられない時。何の実りもないように思える時。確かに目の前に成果という実を見ることができないかもしれません。しかし、そんな日は目には見えませんが、やがて実が実る日がくることを信じて、目には見えませんが、地中深く根をはる時として信仰を...
『神の視点』大倉 信 師
2018年7月8日 スイスの哲学者、アンリ・フレデリック・アミエル(Henri Frédéric Amiel )は言いました「精神生活のない人間は環境の奴隷だ」"The man who has no inner-life is a slave to his...
『神の栄光のために』大倉 信 師
2018年7月1日 今日、多くの若者が世界を放浪しています。かつては私もその一人でした。今から28年前、私はインドのプリ―という小さな漁村にいました。ツアー客が立ち寄るような場所ではない、それこそ一泊1ドルほどの宿にステイしていました。そこに数日いた時、なんと同じ宿に日本人...
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