top of page
Search
『コロナが過ぎ去った後に。。。』大倉 信 師
2020年3月29日 (日) 私達は今、これからの見通しが全くかない状態の中におりますが、コロナウイルスはいつか必ず終わります。このことが終息するまでに私達にはそれなりに打ちのめされると思います。悲痛な思いで申し上げますと、このウイルスの終わりを見ずにお亡くなりになる方達も...
『こうして教会は(29):なぜヤコブは殺され、ペテロは生きたのか?』大倉 信 師
2020年3月15日 (日) 『そのころ、ヘロデ王は教会のある者たちに圧迫の手をのばし、ヨハネの兄弟ヤコブをつるぎで切り殺した。そして、それがユダヤ人たちの意にかなったのを見て、さらにペテロをも捕えにかかった』(使徒行伝12章1節―3節)。...
『こうして教会は(28):新しいチャプターに生きる私達』大倉 信 師
2020年3月8日(日) イスラエルの首都、テルアビブの南、地中海沿いにヨッパ(Jaffa)という町があります。この町は何度か聖書にでてきます。まず旧約聖書に書かれていますヨナ書に大魚に飲み込まれたヨナが逃げこんだ町として出てきます(ヨナ1章1節―3節)。...
『こうして教会は(27):聖霊と信仰によって導かれる神の物語』大倉 信 師
2020年3月1日(日) 『エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財宝全部を管理していた宦官であるエチオピヤ人が、礼拝のためエルサレムに上り、その帰途についていたところであった』(使徒行伝8章27節―28節) 今日のメッセージでとりあげましたエチオピアにはユダヤ教を信奉...
『こうして教会は(26):神の物語の中に生きる』大倉 信 師
2020年2月23日(日) 私達の教会のファウンダー達は1940年に最初の教会堂をサンディエゴに購入します。しかし、時、同じくして第二次世界大戦が勃発します。そのことゆえにカリフォルニアに在住している日系人は強制収容キャンプに入れられます。それはサンディエゴ日本人教会に集っ...
『こうして教会は(25):足元に目を向ける』大倉 信 師
2020年2月16日(日) もし私達が遠くのものばかりを見て自らの足元に目を向けることがないのなら、そこに問題が生じていてもそれはそのまま放置されます。しばらくは何も問題はないでしょうが、足元がおぼつかなくなると転倒します。そして、転倒しますと体の各部位は大きなダメージを受...
『こうして教会は(24)回心にいたる道』大倉 信 師
2020年2月2日(日) 皆さんはきっと多忙な毎日を送っていると思います。しかし、そんな皆さんにも時に内なる声が聞こえてくることがありませんか。「このままでいいのか」。「このことに手をつけないでいいのか」「この人との関係をどうするのか」・・・と。...
『こうして教会は(23)最悪の状況ではたらく神』大倉 信 師
2020年1月26日(日) 私は今から27年前、ちょうどこの冬のシーズンに中国を一人で旅していました。その時に私は四川州の重慶という町にいました。今、肺炎で注目されている武漢という町を流れる揚子江を上流に向かい、上海から一週間かけて重慶にたどり着いたのです。...
『優先順位が決める私達の人生』大倉 信 師
2020年1月19日(日) 2019年、私が深く教えられたことの一つにこの「神こそが主である」ということがあります。「主は自分ではない」ということです。私の人生の主(あるじ)は私ではないのです。 このようなことは本来、最初から肝に銘じておくべきことでした。なぜなら、このこと...
『こうして教会は(22)天下にこの方以外に救いはない』大倉 信 師
2020年1月12日(日) イクイッパーカンファランスでは私よりもずっと若い方達に毎晩、メッセージを語らせていただきました。その多くは私の子供達の年齢です。この度、彼らに問いかけたかったことは「皆さんはどこに立って、これから生きていくのか」ということでした。...
新年合同礼拝『エマオの途上を歩く私たち』大倉 信 師
2020年1月5日(日) 1989年、Back to the Future 2という映画が公開されました。マイケルJフォックス扮するマーティーが未来の世界にやってくるというストーリーです。当時、20歳の私はその未来の世界に驚きと期待を抱いたのを覚えています。...
『謙遜』大倉 信 師
2019年12月22日(日) 私は年を重ねれば重ねるほどに自分の小ささを感じます。そして、それはある思いと並行して起きていることに気がつかされています。そうです、大いなる神を知れば知るほど、私は自分の小ささに、不完全さに気がつかされていくのです。...
『クレイジー・ラブ』大倉 信 師
2019年12月15日(日) 我々日本人は「1つを言われて10のことを察する」と言われています。さすがに10は無理でも、一つのことから、その他2つ、3つのことを察して、互いの関係を保っています。 これができると「空気が読める人」と呼ばれ「気が利く人」と評価され、これができな...
『こうして教会は(21)十分の一が意味すること』大倉 信 師
2019年11月24日(日) 「ありがとう」とか「感謝」を意味する「THANK」という英語を見ていますと、ある言葉を思い浮かべます。そうです、それは「THINK」です。実は「THANK」とは「THINK」から派生して生まれた言葉だそうです。すなわち感謝するということは、考え...
『こうして教会は(20):なぜ、サンディエゴに暮らしているのか』大倉 信 師
2019年11月17日(日) 大塚久雄(ひさお)という経済史を研究した元東京大学教授が「意味喪失の時代に生きる」という本を書いています。私達の回りにはたくさんの「喪失」というものがあるでしょうが、その中で私達にとって最も深刻な喪失は「意味を失うことだ」と大塚氏は書いているの...
『こうして教会は(19):賛美の力』大倉 信 師
2019年11月10日(日) 先日、台風19号で被災した日本の川越キングスガーデンを訪ねました。キングスガーデンはその名の通り、王の庭、すなわち神の庭です。その神の庭をあの日に大水が覆いました。 あの夜、止むことのない記録的な豪雨は三つの川の堤防を越えて、キングスガーデンの...
『こうして教会は(18):まごころを評価する教会』大倉 信 師
2019年11月3日(日) 多くの方達の家庭には昔の写真や思い出のものというものがあると思います。時々「息子が書いてくれたんですよー」とその子の親の顔の絵を見せていただくことがあります。それを見て「下手ですね」という人はいません。「まぁーお上手、いいですねー。将来はアーティ...
『こうして教会は(17): 湧き上がる喜び』大倉 信 師
2019年10月27日(日) 昔、日本には「ドブ」というものがありました。最近、このドブにはフタが置かれ、目にすることがなくなりました。しかし、当時はまだいたるところにドブがありました。私も目を閉じれば、あのドブ、このドブと目に浮かびます。小さい頃はそんなドブまでもが私の遊...
『こうして教会は(16):礼拝者の心にあるべきこと』大倉 信 師
2019年10月20日(日) アメリカと日本では事情が異なりますが、一般的に日本ではお葬式に列席する時には喪服という黒い服を着ます。そして、その時には一同、故人の死に対する悲しみと遺族に対する同情を言動によってあらわします。...
『こうして教会は(15):神を畏れることが、なぜ必要なのか? 』大倉 信 師
2019年10月13日(日) 誰でも最高の人生を送りたいものです。そのために色々と計画をたてます。人生設計をたてます。しかし、最高の人生というのはなかなか手に入らないものです。私達はあせります。いらだちます。追い込まれます。なぜだ、なぜだ。何が足りないんだ。どうしたらいいの...
bottom of page