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『こうして教会は(22)天下にこの方以外に救いはない』大倉 信 師
2020年1月12日(日) イクイッパーカンファランスでは私よりもずっと若い方達に毎晩、メッセージを語らせていただきました。その多くは私の子供達の年齢です。この度、彼らに問いかけたかったことは「皆さんはどこに立って、これから生きていくのか」ということでした。...


『こうして教会は(21)十分の一が意味すること』大倉 信 師
2019年11月24日(日) 「ありがとう」とか「感謝」を意味する「THANK」という英語を見ていますと、ある言葉を思い浮かべます。そうです、それは「THINK」です。実は「THANK」とは「THINK」から派生して生まれた言葉だそうです。すなわち感謝するということは、考え...


『こうして教会は(20):なぜ、サンディエゴに暮らしているのか』大倉 信 師
2019年11月17日(日) 大塚久雄(ひさお)という経済史を研究した元東京大学教授が「意味喪失の時代に生きる」という本を書いています。私達の回りにはたくさんの「喪失」というものがあるでしょうが、その中で私達にとって最も深刻な喪失は「意味を失うことだ」と大塚氏は書いているの...


『こうして教会は(19):賛美の力』大倉 信 師
2019年11月10日(日) 先日、台風19号で被災した日本の川越キングスガーデンを訪ねました。キングスガーデンはその名の通り、王の庭、すなわち神の庭です。その神の庭をあの日に大水が覆いました。 あの夜、止むことのない記録的な豪雨は三つの川の堤防を越えて、キングスガーデンの...


『こうして教会は(18):まごころを評価する教会』大倉 信 師
2019年11月3日(日) 多くの方達の家庭には昔の写真や思い出のものというものがあると思います。時々「息子が書いてくれたんですよー」とその子の親の顔の絵を見せていただくことがあります。それを見て「下手ですね」という人はいません。「まぁーお上手、いいですねー。将来はアーティ...


『こうして教会は(17): 湧き上がる喜び』大倉 信 師
2019年10月27日(日) 昔、日本には「ドブ」というものがありました。最近、このドブにはフタが置かれ、目にすることがなくなりました。しかし、当時はまだいたるところにドブがありました。私も目を閉じれば、あのドブ、このドブと目に浮かびます。小さい頃はそんなドブまでもが私の遊...


『こうして教会は(16):礼拝者の心にあるべきこと』大倉 信 師
2019年10月20日(日) アメリカと日本では事情が異なりますが、一般的に日本ではお葬式に列席する時には喪服という黒い服を着ます。そして、その時には一同、故人の死に対する悲しみと遺族に対する同情を言動によってあらわします。...


『こうして教会は(15):神を畏れることが、なぜ必要なのか? 』大倉 信 師
2019年10月13日(日) 誰でも最高の人生を送りたいものです。そのために色々と計画をたてます。人生設計をたてます。しかし、最高の人生というのはなかなか手に入らないものです。私達はあせります。いらだちます。追い込まれます。なぜだ、なぜだ。何が足りないんだ。どうしたらいいの...


『こうして教会は(14):教会の祈りの力』大倉 信 師
2019年10月6日(日) 私達の教会では緊急の祈りの課題があると、それがメールで一斉に発信されます。多い時には一週間の間にこのようなメールが何度か送られます。こうして瞬く間に祈りの連鎖がひかれます。 そして水曜日、木曜日の祈祷会では出席者が祈り課題をあげて毎週、祈っていま...


『こうして教会は(13): Soli Deo Gloria(神にのみ栄光あれ!)』大倉 信 師
2019年9月29日(日) これまで教会で、このような失敗や挫折、悲しい経験をされた方達と多くお会いしてきました。言うまでもなく私もそのうちの一人です。それらを通して今、思うのです。 単純に比較はできませんが「失敗」とか「挫折」、また「悲しみを伴った経験」というのは「成功」...


『こうして教会は(12):健康な教会であるために』大倉 信 師
2019年9月22日(日) かつて、あのジョン・F・ケネディーが内外に問題が山積していたアメリカ国民に語りかけた有名な言葉がありますね。「国があなたに何をしてくれるのかを問うのではなくて、あなたがこの国のためにできることをしてください」。 ...


『こうして教会は(11): ぶれない軸ゆえの自由 』大倉 信 師
2019年9月8日(日) グローバルな時代と言われて久しく、私達のすぐ傍らには言葉も文化も違う人達がいます。地球を存続させるために、この互いの違いというものを克服していくことは全人類のこれからの課題です。 しかし、それに反して、最近の世界の動向はこの違いによる社会や国の分断...


『こうして教会は(10):食卓を囲む意義』大倉 信 師
2019年9月1日(日) かつて一人で島暮らしをしていました時、私の夕食は10分で終わっていました。当時の私の得意料理は「納豆」と「卵ご飯」、そして、「肉野菜炒め」でした。 納豆はあの白いプラスチックカップのまま食卓に並び、肉野菜炒めも、盛りつけなど考えることなくただ皿にの...


『こうして教会は(9):ひたすら一同がしていたこと』大倉 信 師
2019年8月25日(日) 以前、「Into the Wild」という映画を観ました。この映画は1992年に一人の青年が放浪の末にアラスカで死体で発見されたという実話をもとにした映画で、アカデミー賞にもノミネートされました。...


『こうして教会は(8):主にある交わりから得るもの』大倉 信 師
2019年8月18日(日) 「心の貧しい人たちはさいわいである。天国は彼らのものである」(マタイ5章3節) 「心のきよい人たちはさいわいである。彼らは神を見るであろう」(マタイ5章8節) 「わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである」(マタイ12章10節)...


『こうして教会は(7): 洗礼について』大倉 信 師
2019年8月11日(日) 2000年前の初代教会が「悔い改め」と「洗礼」というメッセージに応答した人達によって始まり、形成されていったということ、そして、そのことは今日の私達の教会も何ら変わりがありません。そこで、今日はこの「洗礼」ということについてお話ししたく願っており...


『こうして教会は(6): 悔い改めよ』大倉 信 師
2019年8月4日(日) 今日、伝道メッセージが語られる時、このような語りかけがなされることがあります「さぁ、今、あなたの心の扉を開き、あなたの王座にイエス様に座っていただきなさい。あなたの心の扉のノブは外側にはなく、イエス様はそのドアを開けられないのです。そのドアは内側か...


『こうして教会は(5): 命の言葉を堅く持って』大倉 信 師
2019年7月14日(日) フランスの哲学者ヴィクトル・シェルブリエ(Victor Cherbuliez)によれば、紀元前1500年から紀元1860年までの3360年間に署名された平和条約は世界で約8000件もあったといいます。しかし、どれも平均2年しか続かなかったといいま...


『こうして教会は(4):通じ合う言葉と心』大倉 信 師
2019年7月7日(日) 10年ほど前にカリフォルニア・ピザ・キッチンに家族で食事に行きました。トッピングをオーダーしました。オリーブが好きな私達は「Black Olive」をオーダーしました。しかし、出てきたピザにオリーブの姿はなく、その代わりに「Broccoli」がのっ...


『こうして教会は(3):聖霊と共に歩む価値』大倉 信 師
2019年6月30日(日) ある哲学者は言いました。「人間とは単独者だ。たった一人だ」確かにそうかもしれません。人間とは人の間と書きますが、実際は一人であると言えましょう。人である限り、私達は孤独を知る者です。人からの理解や励ましや慰めを得られないということも多々、あります...
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