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『人生観の確立(6):死生観』大倉 信 師
2021年7月11日(日) レオナルド・ダヴィンチやマキャヴェリとの親交もあったというイタリアの政治家、チェザーレ・ボルジャは言いました。「私は生きている時に、死以外のあらゆるものに対して備えをしていた。今、私は死なねばならぬ。そして、まだ何の備えもない」。...
『どうしたらよいのでしょうか?』中村裕二 師
2021年6月27日(日) 今週はハワイの中村裕二牧師が使徒2:1-4, 37-40よりメッセージをお届けします。 ●一日一 生(20210628-20210704) メッセージ音声 メッセージを Podcast*で聴く・音声ダウンロード...
『父親が荷を下ろすところ』大倉 信 師
2021年6月20日(日) 子供がまだ幼い時に、彼らは「パパならなんでもできる」と思っています。「パパが一番、力持ちだ。パパにお願いすれば大丈夫だ」と思っています。息子がまだ幼い時に「パパはすぐに飛んでくるよ」と言いましたら、彼は言いました「パパ、飛べるの?」子供は時に父は...
『人生観の確立(5):倫理観』大倉 信 師
2021年6月13日(日) この度の東京オリンピックのために新しく建築された建物に新国立競技場があります。その競技場を設計したのは隈研吾という日本人建築家です。隈氏は日本のみならず、常に世界数カ国で同時に仕事をしている世界的に有名な建築家です。その人の仕事の流儀というものが...
『人生観の確立(4):人間観』大倉 信 師
2021年6月6日(日) 今から34年も昔になりますが、テネシー州の田舎町にある大学に在学していた時、よくMTV(Music TV)という音楽番組を見ていました。この番組はその時にヒットしているプロモーションビデオを24時間、流す番組で、そんなヒットソングの中にKaryn...
『人生観の確立(3):労働観』大倉 信 師
2021年5月30日(日) 教会ではこれまであまり「労働」ということに目を向けることがありませんでした。それは私達の心のどこかに、聖と俗とを区別する意識があって、「労働」を「霊的な事がら」として結びつけることがなく、端っこに置いてきてしまったからなのかもしれません。...
『人生観の確立(2):家族観』大倉 信 師
2021年5月23日(日) 私達の家族は何によって結ばれているのでしょうか。結婚当初の「情熱」が今も続いていますか。家族が共有する「夢」や「ビジョン」でしょうか。 「金の切れ目が縁の切れ目」「子はかすがい」と色々なことが言われますが、いかがでしょうか。...
『人生観の確立(1):神観』大倉 信 師
2021年5月16日(日) コロナパンデミックとなり一年以上が過ぎました。このパンデミックを通して、私はあらためて、この世界には色々な考え方、物の見方があるということを知りました。自分が暮らす国で考えられていることが、他国においては意も介さないというようなことがある、ある国...
『御翼の陰に生きた女性達』大倉 信 師
2021年5月9日(日) 五年前、教会の方達とイスラエルを訪れました時、死海の目の前に建つホテルに宿泊しました。窓から眺める死海の対岸はヨルダン領土となり、その場所は古代にはモアブと呼ばれていた土地でした。そんなモアブの山を眺めながら、その時、ある女性に思いを寄せました。「...
『愛で始まり、愛の中に生き、愛で終わる』大倉 信 師
2021年5月2日(日) ある映画監督が言いました「人生のバッターボックスに立ったら、見送りの三振だけはするな」。 サンディエゴ・パドレスのゲームを観ている私の姿を見て、家族は笑います。スクリーンに向かって私が声をあげるからです。どんな時に私は声を上げるのでしょうか。「なん...
『「感謝する心」が明日を拓く』大倉 信 師
2021年4月25日(日) 小学生の頃、「もしお前の願いが一つ、かなえられるとしたら何が欲しい?」とよく友達の間で話しました。ある者は「ギアつきの自転車」が欲しいと言い、ある者は「野球チームのレギュラーポジション」を取りたいと言いました。私はそんな時、いつも答えました。「魔...
『聞かれない祈りについて』大倉 信 師
2021年4月18日(日) 人生を50年も生きていますと、私にはいくつもの叶えられなかった祈りがあったことに気がつかされます。そして、それらを振り返ります時に、それらのことについて今、私は思いがけない、自分でも驚く思いを持っていることに気がつきます。何だか分かりますか?...
『天を相手に生きる喜び!』大倉 信 師
2021年4月11日(日) 「いつも喜んでいなさい」(Ⅰテサロニケ5章16節)。 この言葉に内心、違和感を覚える方がいるのではないかと想像します。「そんなことはできない」という違和感です。そうです、私達は「いつも」という言葉に心が引っかかるのです。...
『私たちは実の終わりを知っている』本多 一米 牧師
2021年4月4日(日) 一日一生(20210405-20210411) メッセージ音声 メッセージを Podcast*で聴く・音声ダウンロード *Podcastの詳しい使い方はこちら 礼拝ビデオ サンディエゴ日本人教会 Youtube チャンネル #jp
『悔いのない人生を生きたい』大倉 信 師
2021年3月28日(日) エルサレムには聖墳墓教会という教会があります。そこはイエス・キリストが十字架につけられたゴルゴダの丘の上に建てられたと言われている教会です。その場所が当時のゴルゴダの丘だろうと裏づけられた理由は、その丘から十字架刑に使われたと思われる朽ちた木々、...
『壁越しではなく、垣根越しに』大倉 信 師
2021年3月21日(日) メキシコとの国境に行きますとそこには高い壁が建っています。その壁はとても高いもので、こちらからあちらをうかがうことができません。中にはその壁の上に痛々しい針金が巻いてあるところもあります。なぜなら、私達は観光に来ているわけではなく、向こう側を見る...
『与えましょう、与えられます』大倉 信 師
2021年3月14日(日) 日本語には以心伝心という言葉があります。「言わなくても分かりあっている」のだから、口に出すなんて野暮なことなのだと私達は言います。「何も言わないけれど、心の中では喜んでいるんですよ、感謝しているんですよ」って、本人はそれで完結しているのでしょうが...
『私が変わります』大倉 信 師
2021年3月7日(日) ジョン・ドレッシャーという牧師が「若い父親のための10章」という本を書いています(いのちのことば社)。その中で師は「家族のために祈るのをやめること」という一見、耳を疑うようなことを書いています。いったいドレッシャー牧師は何を言わんとしたのでしょうか...
『誰のために体を労るのか』大倉 信 師
2021年2月28日(日) ある青年が牧師のもとに悩みを打ち明けに来ました。自分は毎日、生きていくのがつらい。頭にはもやがかかっており、毎日が息苦しい。ちゃんと聖書を読んでいるし、祈っているし、教会にも行っているのにと彼は言う。...
『私は奇しき足跡を信じる』大倉 信 師
2021年2月21日(日) 今から30年前、神奈川県の藤沢市からテントと寝袋を持って、自転車で九州、宮崎県まで行ったことがありました。京都までは一号線をひたすらはしりました。自転車といえども結構、はしれるもので一泊目が静岡市の阿倍川の橋の下だったことを覚えています。二泊目は...
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